良い気分でいること=幸せへの近道、ということについて

こんにちは、宮です^^

 

少し前の話なんですが、

なんかずっとダメダメな日があって落ち込んでました。(今は回復済)

 

細かくは色々あったんですけど

基本的に自分の行動とか浅慮の結果の落ち込みで、

だからなんか落ち込むのもおこがましいように思うし、

やり場のないモヤモヤ・・・

 

人生を完璧にこなしたいのに、

それに自分の能力が追いつかない悲しさやイライラ・・・

 

その日の夜には、すべての意欲がなくなってしまってました。

夫がいるおかげで、かろうじて最低限の日常生活

(ご飯作ったりお風呂入ったり、洗濯したり)

はできるけど、

心は石のように固くなってしまっている感じ。

 

“ご自愛”しようと思って、

頭は「これは?これはどう??これやってみる??」って

一生懸命心に聞くんだけど

心は「別に……全部微妙……いらない……」

みたいな反応すんですよね。

 

でェ、

ここからが今回の本題なんですけれども。

 

わたくし、以前はもっぱら

【「良い気分でいる」ことが幸せへの近道である】

という考えを信仰しており、

それを実践しようとしていました。

今もそれはある意味でその通りだと思うんですが、

「良い気分でいることが人間として自然な状態である」

という論に固執しすぎていたように思います。

 

だから落ち込んだり嫌な気分になると、

一刻も早く良い気分に戻りたくて躍起になってました。

「良い気分にならないと、良い人生にならない」と

思っていたのかなと。

 

でも最近、さらに色々学ぶうち、

そもそも「常に良い気分でいようとすること」自体が

不自然なのかもよ、という考え方に

共感するようになりまして。

 

だって確かに、

人生には辛いことだってある、

上手くいかないことだってある、

今回みたいに頭と心がちぐはぐな日もある。

それが普通。


(私が世界をそう思っているから、

そういう世界が目の前にあるのかもしれません。

信じる世界が目の前に存在するというのは正しい。

どういう風に認識するか、ということなのでしょうが)

 

「苦痛」や「嫌な気分」を忌み嫌うよりも、

苦痛を覚える事態に遭遇した時に

それをどうやってやり過ごすか、

そこからいかに早めに回復できるか。

その苦痛は苦痛として感じたままで、

その苦痛に支配されず、

いかに自分の価値にしたがってより良い生活を続けるか。

「苦しみと共存する能力」を高めて生きていく、

と考える在り方のほうが

自分にとってはより現実感があるな、と思うようになりました。

(そもそも自分少年漫画っ子なので笑、

「しんどいことを乗り越えること」とか

「対処を学ぶ」ことで

「経験値になる」、「自分の引き出しが増える」

という考え方、価値観は好きなんですよね元々。

そういう経験も確実にしているし)

 

 

ということで。

今回はひとまず、

「しんどい感情を拒絶するのをやめてみよう」

という実験をしてみることにしました。

良い気分になりたいと思って

躍起になるのをやめてみました。

元気の出そうな記事を検索するとか。

“そういう系”の動画を見まくるとか。

(心に「見る?」って聞いても「いや・・・」

って感じだったってのもありますが。)

言ってみれば「情報」という薬を使うのをやめて、

ひたすら心と向き合ってみるつもりで

でも日常生活は淡々とで良いからこなすつもりで、

しんどさと対峙してみようと思いました。

 

結果。

心が死んだまま

心が「!」と反応する瞬間がありました。

それは、普段曲がらない小道の入り口を通り過ぎた時。

 

小さな「!」だったので

一瞬通り過ぎようとしたんですが、

いや!と思ってその道を使って

会社に向かってみたです。

そしたら当たり前なんですけど

いつもと違う景色が広がっていて、

ちょっとワクワクしました。

そのあたりからしんどさを俯瞰できるような気分になってきて、

 

 

で。ここからはこの記事を書きながら

思い至ったことなんですけれども。

 

しんどい感情に襲われた時、

何をさて置いても大事なことが、

「ありのままの感情を認める」、ってことなんだそうだす。

・・・。

アレェ?!

知テル知テル!それ私知テルヨー!?

なんかほら

こういう界隈…で「基本」として言われてることじゃないですかー!

自己啓発関係は割と齧ってきた自負はあるんだが〜〜?!

モヤモヤとか嫉妬心とかに苦しんだ時、

「まずはそんな自分を認めてあげること…♫」

って記事は100万回見てきたし?

そういうの読んで「オッケ!」っつって

やって…やってきたつもりだった……

んん〜〜?!

待って待って。ちょっと待って。

 

いや、やっ……てきたと思ってたんですよ私。それ。

 

書く瞑想とか、モーニングページとか、

心を整える方法色々あるじゃないですか。

私も好きで。

以前から落ち込んだ時は

ノートやTwitterの鍵垢に吐き出すようにしていたのですが…

 

あ〜〜〜〜〜……

 

そう言われてみると、

(私個人の感覚です)その時の気持ちとしては

「嫌な感情を手放す」ため、

というのが大きかった…のかな……??

感情を手放す前に、ちゃんとその存在を認めてあげる

というのを、本腰入れてやってなかったみたいです、私。

 

そう思うとね、

今回みたいに「ご自愛」とか「自分に優しくする」

が上手くいかない時って

その前段階として

苦しい感情を「認める」「受け入れる」が

ちゃんとできてないまま、

次のステップに進んじゃってる状態なのかな・・・と

思えてきました。

 

という発見?学び?のようなものがあったところで、

素人らしく綺麗にまとまらないまま今回は終わろうと思います。

 

乱文読んでくださった方、

どうもありがとうございました!